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玉野簡易裁判所 昭和37年(ろ)2号 判決

被告人 三木実

昭五・三・二八生 自動車運転者

主文

被告人は無罪

理由

第一、公訴事実

被告人は法定の除外事由がないのに昭和三六年一〇月一六日午前八時二五分頃岡山県公安委員会が道路標識によつて一時停車すべき場所と指定した岡山市内山下三〇ノ一番地先道路において普通自動車を運転して交差点に入るに際し一時停止しなかつたものであるというにある。

本件公訴は道路交通法第四三条、第九条第二項、第一二〇条第一項第三号、同法施行令第七条第二項、昭和三五年岡山県公安委員会告示第一六二号によつての公訴であるので右は同公安委員会が「一時停車但し学童の登下校時に限る」との道路標識により指定した場所であつて日赤北角横断道である。

第二、右公訴事実についての判断

被告人は西大寺町方向より城下方向に電車道をバスを運転して進行していたものであるが右公訴事実の日時、場所において一時停車をしなかつたことについては被告人の供述、犯罪事実現認報告書中犯罪事実欄記載によつてこれを認められる。

第三、本件は右日時が学童の登下校時であつたかどうかが問題点となるので先づ一般的に審究するに、

(1) 「一時停車但し学童の登下校時に限る」との標識の意味は現実に学童が登下校している時を指すのか、学童登下校していると否とにかかわらず一定の時を指すのか、又その両者の場合を指すのか右標識によつては不明確である。学童が現実に横断道を横断している場合に一時停車すべきであることは特に説示を要せないところであるが学童が現に横断せんとしている状況にあるか又その近辺に登下校せんとしていると普通判断せられる学童が居ることがその交差点に入ろうとする車輛から客観的に認め得られる状況下にある場合はその運転者は自発的に一時停車すべき義務あること亦明らかである。

(2)  次に学童横断歩道の交差点において交通整理が行なわれている場合はその指示に従うべきであることは道路交通法第四三条但書により明らかなところである。

(3)  又機械其の他施設例えば点滅灯、サイレン等により又は一時停車の標識に附設して「只今登下校時」とか「何時より何時迄登下校時」等の標示のある場合、又別に公安委員会が何等かの形で公示している場合は前示現実に学童が横断し、又はせんとしている状況であるか否かにかかわらず右標示又は公示の示すところにより一時停車の義務あること又明らかである。

(4)  次に前示各場合に該当しない場合において「一時停車但し学童登下校時に限る」標識のある場所において運転者が各々登下校時刻を自ら推測判断して一時停車しなければならないものかどうかについて判断するに、先づ現実の状況を考えて見るに特に都市においては学校の種類(幼稚園、小中学校等)又その数も相当多く各所に右の如き一時停車標識があるわけであるが学童の登下校時は学校の始業、終業時と関係があり、それ等は各学校によつて必ずしも一定していないし、下校時に至つては殊更にまちまちであること必然であり(一校についても各学年により一致していないことは本件当裁判所照会による内山下小学校長の回答によつても明らかである)又臨時休校の時もあり遠足其他行事のため登下校時の一定しないこともあり、又季節によつても始業時、終業時従つて登下校時の異ることのあるのは明らかであるがその各場合の時刻を法規の適用を受ける運転者においていちいち知ることは殆んど不可能のことであり、従つてそれを知るべき義務もないわけである。又運転者において個々にその時刻を判断決定するとすれば特に交通頻繁な場所においては或運転者は自己の判断で一時停車せずに通過しある運転者は突然ストツプする等の現象が続出し却つて交通を著しく混乱せしめる事故を頻発する結果となることも想像に難くないところである。

(5)  凡そ罰則を伴なう法規の運用に当つてはつとめて具体的且つ明確な基準の下にそれが運用せらるべきであつてその運用者又は法の適用を受ける行為者個々の判断がはいるということは努めて避けなければならないことであるし、行政刑法的な本件道路交通法等の法規の運用においては特にその運用者や行為者の常識的な判断解釈で補なわなければならないようなことは極力避けるべきことである。交通権は社会生活上重要な人権の一つであるのでその制約、規整は(特に刑罰を以て強制する場合)真に己むを得ない場合において必要最少限度で合理的且つ具体的明確な基準の下で努めて画一的の原則に従つてなされなければならないものである。

然るに本件における岡山県公安委員会告示の起案に携つたという証人麹山敏衛(現岡山県警察本部交通課次席)の証言によるも登校時は七時半頃から八時四〇分頃、下校時は一時頃から四時か五時頃であり、右は社会通念上判断すべきであると一率漠然たる供述をしているが、かかる漠然不明確な(時期も場所も個々の特殊事情も考慮に入れることなく)基準の下に社会通念の言葉に簡単に托して一般に公示を徹底さす何等の措置をもとらずして刑罰を科せんとするが如きは明らかに罪刑法定主義の精神をも逸脱することとなる訳である。従つて「一時停車、但し学童登下校時に限る」との標識の解釈を「登下校時刻」を意味するものとして右時刻は各運転者に於て社会通念に基き個々にそれを推測判断して一時停車しなければならない義務があるとの見解は到底採用出来ないところである。

(6)  次に証人岡崎圭一の供述によれば本件横断歩道の西側に学童が二、三人いたと述べているが証人因来省三の証言および被告人の毎回の供述によれば学童は見かけなかつたと述べているので判断するに若し岡崎証人の証言の如く横断せんとしている学童が居たならば本件事件の当時右証人は交通取締官として現地に居たのであるから当時通行中の諸車に一時停車を指示し学童を優先横断させるべきであると思料せられるにかかわらず右措置をしたことを認むるに足る何等の証拠もなく、却つて右因来証人の証言、被告人の供述によると本件被告人に対しても又他の諸車に対しても当時一時停車を命ずることなくそのまま通過させた事実が認められる。(尚右岡崎証人作成の犯罪事実現認報告書によれば道路の西側に学童が七、八人待機していたとの記載があり又右証人の証言中には右学童は二、三人と供述し、又三、四人と供述している、又被告人の取調についても右証言中現地において被告人に対し一時停車を命じたと供述し、又車番号のみ記帳して後日呼出取調をしたと供述している等を対比して見るとその信憑性に乏しくたやすく措信できない)以上の諸点を綜合して判断すると学童が道路の西側にいたという事実は認定することができないところであるし、又学童が居たとしても被告人の車の進行方向からは建物および高さ一間位の板塀に遮られて客観的に全々認められない状況にあることは右因来証人の証言、被告人の供述、実地検証の結果により明らかなところであり、右は岡崎証人も亦之を認めるところである。従つてこの点についても被告人が法定の注意義務を怠つたものと直ちに認定することは困難である。

又右岡崎証人の証言によれば学校の始業時は午前八時三〇分頃であつて本件場所には当時毎日のように午前八時頃から学校の先生が出て整理に当り午前八時二五分頃引揚げていたと述べている点(本件横断道は主として東方約二〇〇米の距離にある内山下小学校学童の横断道であり学童の足で同横断道より学校迄は約四、五分の距離であることは検証の結果および同校長の照会回答によつて認められるところである)尚前示学童の居ることが認められなかつた点、被告人の車其の他の諸車も停車を命ぜられることなく通過したことの認められる事実等と併せて考えると、本件判示事実は午前八時二五分頃の出来事であるので已にその頃は学童の登校も交通整理も終つた後の時刻であると被告人が判断してそのまま通過したということは通念上からもあながち不自然、不合理とは断定せられないところである。

第四、結論

以上の解釈および認定によると被告人の本件判示所為はいずれの点より見るも前示道路交通法各法条および岡山県公安委員会告示による「一時停車」すべき如何なる場合にも該当すると認められないので当裁判所は道路交通法遵守の特に緊要なるを痛感するにかかわらず本件公訴事実は同法違反の罪は構成しないものと判断し刑事訴訟法第三三六条に則り敢て被告人に対し無罪を言渡すと共に法規の明確化、運用の適正、施設の整備、併せて促す所以である。

(裁判官 篠原吉丸)

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